英語の必要性をめぐる議論は、永遠に終わりがこない。いわゆる「グローバル人材」の必須の能力として「英語」が取り上げられていたのは一昔前の話。当時は、英語は確かに「キラキラ」とした、特別なものというイメージがあったかもしれません。時代が変わり、今や英語はできて当たり前、特別感は全くなくなってきています。英語ができるからといって別にたいしたことはないですが、かといってできないのはとてもマズイ、という感覚になってきています。
私が英語を喋れるのは、幸運にも海外に住んでおり海外の大学で教育学を学んでいるからですが、言語を習得することを目的にするのではなく、生活するうえでの自然の流れで、自分のものにしてきたからです。英語を前にして構えるのでなく、ごく当たり前に日常を過ごし、いつの間にか身についたものです。肝心なことは、日常生活に英語を自然に位置づけることなのです。しかし、純日本人(留学経験なし)が英語を“あたりまえ”にするにはなかなか難しくなるのが現状です。ここでは、幼少期から実践することによって英語がいつの間にか身についている、自分のものになるようなことを紹介します。
コミュニケーション能力はこれからの社会ではより必要性が高い
2000年に入った頃から、学校や職場など様々な場でコミュニケーション力が重視され始めました。例えば教育においては、大学入試の英語が従来の「読み、書き」に更に「聞く、話す」力を加えた4技能が評価の対象になりました。知識だけでなく、英語を使って実践的なコミュニケーションを取れるかどうかが重視されるようになったことがわかります。それに応じて教育の現場でも、小・中学校において「主体的・対話的で深い学び」、いわゆる「アクティブ・ラーニング」が推奨されています。
このように、学習面ではもちろんのこと、今後、社会全体のグローバル化や人々の生き方の多様化が進むにつれ、よりいっそうグローバルコミュニケーション能力が求められるようになっていくでしょう。その一方で、英語嫌いの学生は多く、英語教育が開始する中学生の時期から影響が出てきていて「好きな教科ランキング」で英語は国語に続いてワースト2位。英語が嫌いになる原因としては主に、本人の努力不足で英語が分からない、英語学習をがんばっても成果がでない、英語の授業がつまらなくて苦痛である、単純に英語の先生嫌いなどがあると言われています。
研究結果から分かるように、英語そのものが嫌いというよりは、英語にまつわるネガティブな経験や感情のほうが大きな理由だという事が分かります。例えば、細かな間違いでダメだしをされた、英語が出来なくて留学先で歯がゆい思いをした事などがあげられます。ここでポイントとなることが、同じネガティブな経験をしても、「悔しい」と思って勉強するする人と「諦める」人に分かれます。色々な経験をバネにしてさらに向上する人もいれば、「自分には英語は向かないから、英語とは関係のない分野の仕事をしよう」とネガティブな経験が自己認識の一つになることもあります。こういうネガティブな経験をバネにして、あるいは、その経験をしたとしても、そこから立ち直ったり、自分を客観的に見据えて足りないところを埋めていったりする。そういう冷静な力が「非認知能力」です。
ネガティブな経験から立ち直る非認知能力
非認知能力とは
人間の能力は、大きく「認知能力」と「非認知能力」の2種類に分けられます。「認知能力」とは、IQ(知能指数)に代表されるような、点数などで数値化できる知的能力のことです。IQという言葉は一般的にもよく知られており、大人が子どもの能力を把握する上で参考にしやすい指標のひとつです。
一方「非認知能力」とは、認知能力以外の能力を広く示す言葉で、テストなどで数値化することが難しい内面的なスキルを指します。具体的には「目標を決めて取り組む」「意欲を見せる」「新しい発想をする」「周りの人と円滑なコミュニケーションをとる」といった力のことで、子どもが人生を豊かにする上でとても大切な能力であると言えます。
James Heckmanの有名な著書 Giving Kids a Fair Chance (2013) の研究結果では幼児教育を受けさせたグループと受けさせなかったグループを追跡調査したところ、受けたグループのほうが最初のころはIQが伸びた。
ところが、小学生になると、そのIQはだいたい同じくらいになる。でも、40歳になったとき、幼児教育を受けたグループのほうが収入が高く、犯罪率が低かった。長期的に人生を分けているのは、短期的に身についた認知能力(IQ)ではなく、幼児期に受けた教育による非認知能力の差である、というのがヘックマンの主張です。ヘックマンの研究には、もう一つ有名なものがあります。普通に高校を卒業した生徒と、何らかの理由で中退したけど高卒認定試験で高卒資格をとった生徒を比べました。どちらも高卒の能力があると認められているので、認知能力では差がないです。ところが、普通に高校を卒業した人のほうが、将来の就業率も年収も高く、健康面も優れていた、という結果でした。高校を普通に卒業出来るというのは、真面目にちゃんと授業に出席したり、友達との関係も良好に保ったり、高校生活に適応するための非認知能力が高いからこのような結果になったと考えられています。このように、同水準の認知能力を持ちながらも、将来の学業達成や就業や収入、健康や社会対応などに差が見られるのは非認知能力が大きく関わっている事が分かります。
幼少期に育てるべき力として“resilience”(回復力)があげられます。これは非認知能力の一つの重要な要素です。「ネガティブな経験」をしても、それにつぶされてしまったり、いじけたりするのではなく、状況を客観的に見極め、必要な対処をすることによってネガティブ経験を克服できる力です。どうしても、何か嫌なことがあったときには感情的になりがちですよね。でも、感情的になっている自分を見られるもう一つの自分の目があると、「何もかもだめだと思っていたけれど、実は直せばいいのはここだけなんだ」というふうに分析することができます。感情に支配されず、客観的にそれを冷静に見つめるもう一人の自分をもつことは、「メタ認知」と呼ばれ、これも非認知能力の一つとして注目されています。
「やりたいことを楽しむ」は認知能力と非認知能力の両方を高める
英語を学び続けるためには、ネガティブな経験から立ち直る力“resilience”(回復力)が大切だと述べましたが、より大切なのは「楽しむこと」です。フロー体験(没頭)の状態にあると学習が促進されると言われています。フロー体験とは何かに夢中になって他の事を忘れる状態の事で、特別な訓練を受けてなくても、ゲームに熱中したり、面白い小説を一気読みした経験がある人も多いでしょう。
私の場合、レッスンを使う教材などを作っているときは気づいたら日が沈んでることがよくあります(笑)。人間の学習が一番促進される時は、楽しみながらやっている時だと言われています。「楽しい」と感じている時、集中している状態にあるときは、脳のワーキングメモリーが働きやすいと言われており、つまり、頭に入りやすいんですね。
逆に、ものすごく嫌々させている、苦痛を感じている状態で勉強をしても意味がないのです。というわけで、Eigopopのレッスンでは先生達が生徒さんに「楽しい」と思ってもらえるようにレッスンを進め、それに合わせた教材を使っています。個人的なモットーは、生徒さんがレッスン中に一回はクスッと笑ってもらえるよう心がけてます。このような体験は子供の将来に影響すると考えます。例えば、ユネスコの研究機関が実施した国際調査によると、四歳の時点で自由活動を中心とした幼児教育を受けた子供と、決められたプログラムで自由活動が少ない幼児教育を受けた子供とでは、前者の方が7歳時点での認知能力が高かったという結果がでました。幼児期に自分の関心に応じて環境に関わっていくことが認知能力を高める事を示しています。幼少期に、心の底から自分がやりたいことを楽しむことは、自分から社会や環境に積極的に関わる態度、主体的に取り組む姿勢が育つ基盤や礎になります。現代社会では、言われたことに受動的に忠実にこなすだけの仕事はAIやロボットにとって変わられるため、主体的に取り組む姿勢を持ち続けることが大事だと思います。
認知能力と非認知能力は、完全に独立したものではなく、交互に影響し合ったり、重なり合う部分があったりします。ですから、非認知能力が高くなることによって認知能力が高くなる場合もありますし、その逆もありえます。特に言語能力は、認知能力の中でも遺伝率が低く、後天的な学習環境が重要です。
例として、私の母親は英語は喋れませんが、私は恵まれた環境のおかげで英語の先生として働いてます。数学などは、才能やセンスの影響が大きいのですが、英語はやった分だけ結果が付いてくるので、自己効力感(自信から生まれる好循環)を感じやすい科目です。中学校の英語の先生から聞いた事があるのですが、英語のテストの点数は、生徒がどれくらい努力できるかを表している、点数が悪いと努力不足だなあと○付けをしているときに感じてるらしいです。英語力を高めるために非認知能力が大切と述べましたが、逆に、英語を学習することによって非認知能力が高まる面もあると思います。もちろん、国際社会で活躍する、という時には、resilienceや英語力だけではなく、他の認知能力、つまり、知識や教養、専門性も必要であり、両者のバランスがとれていることが大切です。
まとめ
今は、子供向けの英語教材やレッスン、教育アプリや動画配信サービスなどの普及により、小さいころから英語の音声にふれたり英語を使う体験をしたりすることが珍しくない時代です。しかし、当然のことながら、英語学習は幼児期や小学校で完結するものではありません。社会人になるまでに、楽しい事だけではなく、新たなチャレンジや困難、テスト、兄弟や友達との比較、実際に英語を使った時の相手の反応など、生きる上で必ずぶち当たる「苦しい」、「恥ずかしい」、「悔しい」といったネガティブな経験は避けては通れません。それ故、英語力を身につけるうえでは、「ネガティブな経験から立ち直る力」はとても重要です。一方で、小さい頃から「やりたい」、「楽しい」と感じながら英語を学ぶ経験は学習を促進するだけでなく、主体的に取り組む姿勢や自己効力感といった非認知能力を高める可能性があります。非認知能力が英語力を高め、英語力が非認知能力を高める。
この、「英語力」×「非認知能力」の相乗効果を生み出すためには、幼少期の親の関わり方が大切です。幼少期の英語環境づくりにおいては、質の高い教材やレッスンを選ぶこと以上に、子供の気持ちや興味、感心を大切にしながら一緒に楽しむ、子供が安心して何かにチャレンジできる親子の信頼関係をつくる、小さなことでも成功体験をさせてあげることが大事です。福沢諭吉が言うように「一家は習慣の学校なり。父母は習慣の教師なり」というように、基本的な生活習慣や学習習慣、健康的な食生活は重要です。特別なイベントとか海外旅行とかそういうのが重要ではなく、普段の生活習慣の方が非常に大きな意味をもっています。このような、「家庭の日常」に注目すると、将来子供達が国際社会で生き抜くために、英語に限らず、長期に渡って様々な良い影響を与えることができます。